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2014年4月25日金曜日

The result of my surgery for Morton's neuroma ~ After the surgery~


I'm not really sure if my blog has any overseas reader. As this sometimes gets access from abroad, I guess there are some.

I'm writing this to tell you the result of my surgery for Morton's neuroma which I underwent last summer.

Now that 9 months has passed since the surgery and I’m getting better off, I think it is about time to report my postoperative recovery in English.

I'm willing to inform you that my surgery ended up in success! Positive! Plus!

Honestly speaking, I had had some nagging sensations in the first few months from the surgery, which were totally different from the ones in pre-operation. 

It seemed to me something like a lump or a small ball existed in the tarsal of my foot.  It is very difficult to describe precisely the unusual sensations in my poor English, though.

But what matters is most of them gradually disappeared over time.  I'd like to stress this point.

Now everything is falling into places.

 It doesn't mean my right toe has completely recovered or got back to its pristine condition, as I had the part of the nerve removed . 

Even so, I'm very satisfied with the outcome.  I can walk long and even run, wear normal shoes!

 Like you, I also had difficulties finding an experienced orthopedic and making the decision of getting excision as well for years. 


I posted a detailed diary of the progress of my recovery in Japanese.
If you like and it is possible, have a quick read  by using "google translator "or something, even though there must be a lot of mistranslations with it.

 Since I still have another different neuroma with my left toe, I might have to face the reality again sometime in the future.    It is a different problem here, though.

I believe my experience this time will help myself , if the time comes.

It would be very nice if my message could help and encourage you as well.



2014年4月3日木曜日

もやもやしていたこと ② 続き

B大学病院でもまだ何とか歩けている状態ならば、手術はいつでもできるので熟考するように言われました。

私のように長期間の痛みがあり、もし脳がその慢性疼痛憶えこんでいるなら、痛みの部分から脳に発する痛みの信号を断ち切る薬が有効かもということで、「リリカ」を半年処方され、少しずつ処方を増やされましたが、副作用があっただけで全く足の痛みはとれませんでした。
「リリカ」は全身が痛む難病、線維筋痛症の特効薬、エースであり、神経障害性の疼痛にも効く薬ということで、慢性の腰痛などにも使用される薬です。


Bの先生から「もう手術しかないですね」と手術が決まった時、両足一緒に手術するという提案さえ出されていたのです。


手術ベッド空き待機の期間の痛み低減のため(だと私は思っていたのですが)、ある種の抗うつ剤が、脳に作用し痛みを軽減できるケースがあるということで、トフラニールという抗うつ剤の服用の提案をされました
ちなみに私はうつ病ではありませんでした。
実際に線維筋痛症やリウマチなど慢性疼痛を伴う患者さんに、痛み止めの補助剤として、抗うつ剤は処方されることがあるそうです。

しかし、私の場合、痛みの大元、発生源の神経腫があるのですから、今の時点で脳に作用する薬剤を効くかどうか試すのがいいのか?素人ながら疑問には感じました。
鬱のお薬を出された頃から「?抗うつ剤?」とさらに思うようになりました。

暖かい季節になったせいか、その鬱の薬はほんの少しだけ効いたのか、痛みをぼやかしているような気もして、次の診察時に何気なくそれをBの医師に伝えたとたん、「手術しても痛みは取れない。手術はやめたほうがいい。トフラニールは最大量あと6倍(だったか?)まで増やせるので、それで行こう。」と言い出したのです。
はっきり言って、実験レベルです。

モートン神経腫の痛みは、神経腫が物理的な刺激を受け出現する、とがった衝撃痛です。
神経腫がある限り、抗うつ剤やリリカを試す痛みではないと思います。
(もし切除手術後も痛みが残った場合は、試す価値がある薬なのでしょう。)


10数年悩んで、覚悟して決めた手術、ここに至って、抗うつ剤を使用するような、お茶を濁す治療にひっくり戻され、どこまで引っ張られるのか。
コロコロ変わる方針、残酷な言葉、研究本位の治療。
手術の効果を否定され、患者はどれだけ絶望するでしょうか。


抗うつ剤はうつ病の人が服用した場合、離脱するのには慎重を期す薬だと聞きます。
万一、モートン病の痛みに抗うつ剤が効くと仮定しても、鬱病でもない患者が、最大量の抗うつ剤を飲むことによる副作用は? 
そして一生飲み続けるのか?


B病院の先生に手術却下された日、茫然自失で家に帰って来ました。
次の日から、諦められない、と英語のモートン病に関するサイトを読み出しました。
それがこのブログ開設に繋がっていくのですが・・・・
あれからもうすぐ一年です。


Bの先生は本当に手術は効果がないと思っていたのか、神経腫の痛みに対しての抗うつ剤のテスト治療を受け容れさせるためにそう言ったのか、今となってはわかりません。
いずれ手術に至るのであれば、ベッド空き待機期間に色いろなお薬を試そうとされていたのかもしれません。


今さら済んだことを書くつもりはなかったのですが、先日B病院からの手術日決定の連絡を受け、なんて適当なんだろう、患者自身がしっかりしていないと、翻弄されいいようにされてしまう可能性があるのだ、とあらためて当時の辛い思いが蘇りました。

2014年4月2日水曜日

もやもやしていたこと ➀

モートン病についてもそうですが、治療法や手術方が確立していなかったり、または治療の選択肢がいくつかある場合、自分で考え、覚悟して選択することが必要と、あらためて感じた事が先日ありました。

過去の手術前の葛藤を詳しく書く予定はなかったのですが、あるきっかけにより、ずっと抱えていたもやもやを書くことにしました。


今回手術を受けたのはA病院です。
その前、B大学病院で一年間、足の外科の名医と言われる先生に診てもらっていました。
B大学病院には、数年間診てもらっていたC大学病院(この先生は神経を触りたくないという方針でしたのでステロイド注射のみでした)から、手術のために紹介していただいたのです。

B大学病院で医師に一旦決定した手術が却下され、A病院で手術した経緯は以前書いた通りです。

が、A病院での手術から7か月経過したころのことです。
B大学病院から、私の入院と手術日の決定の電話がありました。
びっくりしました。私はB大学病院の先生にはっきりと手術却下されたのですから。
そして、その後B病院には行っていません。

そのB病院からの電話で、私がずっと手術の空きベッド待機のリストにはいったままの状態になっていたことが分かりました。
手術日までが決まっているということは、整形外科の手術のカンファレンス等も済んでいるのでしょうか。
B大学病院で手術が一旦決まった時、混んでいるので半年以上は手術ベッド空き待機になると言われましたが、実際はそれから10カ月間の手術待機だったことになります。


連絡をくれたB病院の看護婦さんに、先生が手術はしても痛みが取れないと断言し、決まっていた手術を棚上げされ、どれだけ大変な苦悩と葛藤があったかということ。
その後診察には行っていないこと。
今となれば、Bの先生のその時の気分の言葉のようにも思えてくること。
別の病院ですでに手術を終えていること。
手術の連絡にいまさらながら驚いていること、を簡略に伝えました。

看護婦さんには何の責任もないのに、冷静に謝ってくださいました。
恐らく、大学病院(治療機関である前に研究機関でもあります)でありがちな事情を、私の言葉の中に、読み取ってくださったのだと思います。

次にB大学病院で、一年間受けていた治療投薬のことを記します。
あえて実験に近いものだったと言えると思います。
誰かが同じような投薬を受け、それが功を奏せばもちろんよいことですが、期待を持っては落胆することを繰り返し万策尽きて、さらに追い打ちをかける堂々巡りのような状況に陥ってほしくありませんので、参考までに書き留めることにしました。

②へ続く