モートン病についてもそうですが、治療法や手術方が確立していなかったり、または治療の選択肢がいくつかある場合、自分で考え、覚悟して選択することが必要と、あらためて感じた事が先日ありました。
過去の手術前の葛藤を詳しく書く予定はなかったのですが、あるきっかけにより、ずっと抱えていたもやもやを書くことにしました。
今回手術を受けたのはA病院です。
その前、B大学病院で一年間、足の外科の名医と言われる先生に診てもらっていました。
B大学病院には、数年間診てもらっていたC大学病院(この先生は神経を触りたくないという方針でしたのでステロイド注射のみでした)から、手術のために紹介していただいたのです。
B大学病院で医師に一旦決定した手術が却下され、A病院で手術した経緯は以前書いた通りです。
が、A病院での手術から7か月経過したころのことです。
B大学病院から、私の入院と手術日の決定の電話がありました。
びっくりしました。私はB大学病院の先生にはっきりと手術却下されたのですから。
そして、その後B病院には行っていません。
そのB病院からの電話で、私がずっと手術の空きベッド待機のリストにはいったままの状態になっていたことが分かりました。
手術日までが決まっているということは、整形外科の手術のカンファレンス等も済んでいるのでしょうか。
B大学病院で手術が一旦決まった時、混んでいるので半年以上は手術ベッド空き待機になると言われましたが、実際はそれから10カ月間の手術待機だったことになります。
連絡をくれたB病院の看護婦さんに、先生が手術はしても痛みが取れないと断言し、決まっていた手術を棚上げされ、どれだけ大変な苦悩と葛藤があったかということ。
その後診察には行っていないこと。
今となれば、Bの先生のその時の気分の言葉のようにも思えてくること。
別の病院ですでに手術を終えていること。
手術の連絡にいまさらながら驚いていること、を簡略に伝えました。
看護婦さんには何の責任もないのに、冷静に謝ってくださいました。
恐らく、大学病院(治療機関である前に研究機関でもあります)でありがちな事情を、私の言葉の中に、読み取ってくださったのだと思います。
次にB大学病院で、一年間受けていた治療投薬のことを記します。
あえて実験に近いものだったと言えると思います。
誰かが同じような投薬を受け、それが功を奏せばもちろんよいことですが、期待を持っては落胆することを繰り返し万策尽きて、さらに追い打ちをかける堂々巡りのような状況に陥ってほしくありませんので、参考までに書き留めることにしました。
②へ続く